A1理論はミニマリスト

ポジティブにつぶやき中@A1riron

人は不快な記憶を忘れることによって『防衛』する。(フロイト)

【スポンサーリンク】

『人間』のことをよくわかってますね、フロイトさん。

ジークムント・フロイト - Wikipedia

さすがパリ留学中にフランス語の会話ができず、ドイツ語訛りもあって喫茶店でパンを頼むことすら敵わなかっただけのことはある!

フロイト入門 (ちくま新書)

フロイト入門 (ちくま新書)

 

 

もう数十年したら、コンピューターの処理能力が人間の脳の処理能力を超えるそうですが、人間の脳がコンピューターより優れている機能は『忘れる』という機能だと思います。

人間の脳内で記憶を司る『海馬』のサイズはコンピューターのHDDに比べてミニマム過ぎる。(特に僕の『海馬』はものすごくミニマムですw)

 

なので『忘れる』という機能を有している限り、人間の脳はコンピューターにかなわない。

だって勝手にデータ消去してくれるんだもんw

 

だから『忘れてはいけないこと』は紙の日記・手帳なり、パソコンのHDDやスマホのメモ帳なり、クラウド上のEvernoteなり、あるいはブログ記事なりに残しておいて、いつでもとりだせるようにしておいて、それ以外のことはとっとと忘れるに限ると僕は思います。

 

まとめると、

コンピューターの得意なこと:

1記録が消えないこと

2デジタル情報を計算式によって処理すること

 

人間の脳が得意なこと:

1記憶を忘れること

2目や耳や鼻や舌や皮膚や雰囲気からアナログ情報を摂取し、その情報をデジタル情報としてコンピューター上(またはクラウド上)に残すことができること

 

なんじゃないかと思います。

 

コンピューターが得意なことはコンピューター(今ならスマホやブログ等のクラウドも含む)に任せ、せっかく人間には目や耳や鼻や舌や皮膚や雰囲気をよむ力があるので、その五感や六感を駆使して外部から新規にアナログ情報を集め続けるべきなんじゃないかと僕は思います。

それはコンピューターには少なくともあと100年くらいはできない機能だと僕は思います。(100年後はできているかも)

 

20世紀まではなんでも『記憶』していることが評価されました。

ネットもスマホもなかったので、本を持ち歩くのにも限界があり、自分の脳内の『海馬』に情報を詰め込むしかなかったからです。

 

でも、ネットもスマホも普及した現代、『記憶』していることなんてなんの価値もないです。ググればいいんですから。

ググっても出てこないことはそれこそ自分が体験して、ブログ記事に残せばいいと僕は思っています。

 

だから過去の『記憶』なんてどんどん消去して、目や耳などの情報摂取器官からどんどん新しい情報を摂取していけばいいと僕は思います。

『忘れちゃいけないこと』だけをローカルPCかスマホのメモ帳、あるいはブログ記事として残しておけばいいだけで。

 

 

むしろ余計な『記憶』は脳内の処理速度を低下させるという研究結果もあります。

年齢を重ねると記憶力が落ちるのではなく、今まで記録したデータが膨大過ぎてCPUを圧迫するのだそうです。

昔のPCのCドライブに余計なデータが入りすぎてPCが遅くなるのに似ています。

なので、実は脳の処理能力(CPUの性能)は加齢とともには落ちないんです。単に脳内の余計なデータ量が多いだけ。

そんな余計なデータがCドライブにあるからダメなだけであって、余計なデータはDドライブに移せば脳の処理速度は落ちないんです。ここで僕がいうDドライブとはローカルPCのHDDやスマホのメモ帳・Evernote、ブログ記事などのことです。

 

『日記の魔力』の表三郎はほぼ直感的にこれを悟っていて、

とも言っています。

彼はこの事実を直感的に悟っていたからこそ、全共闘世代のリーダーで「天地がひっくり返ることがあっても、表三郎がマルクス主義を捨てることはない」と言われていたのにもかかわらず、マルクス主義を捨てることに成功したのだと思います。

30年間日記を書き続けたことで『過去の自分』を断捨離できた男・表三郎 - A1理論はミニマリスト

 

日本人は『記憶している量が多いほど頭がいい』という20世紀の亡霊に囚われすぎて『忘れる』という人間の脳に元々備わっている機能を軽視、あるいは蔑視していると思う。

 

だから僕はあえて言う、

「どんどん忘れちゃっていいんだ!!」

 と。

 

そして、

「どんどん新しい『アナログ情報』を五感で摂取し続け、『忘れる』こと前提で日記やブログに残せばいいんだ!!」

 と。

 

僕にとってはすべては余計な情報を『忘れる』ためのブログであり、ミニマリズムであり、旅であり、移住計画だ。

 

 

昨日、▼とてもいい記事を読んだ。

生き方が不器用で貧乏な人は東京に来るといいよ。高知じゃなくてね。 - 人生いつも三日ボーズ

 

僕がこれを読んで思ったのは、一番大事なのは『高知』に行くことでもなく、『東京』に行くことでもなく、過去の『不快な記憶』を『忘れる』ために、環境を変え、新しい土地で、新しい仲間と生きていくことなんじゃないかということだ。

 

僕の経験上、病んでる人って、

ずーーーーーっと同じ環境

ずーーーーーっと同じ人間関係

ずーーーーーっと実家生活

等で病み病みスパイラルにハマっていってる気がする。

そこにずっとあるモノやずっと住んでいる人が『不快な記憶』を呼び覚ますファクターになってしまう。

だから環境を変えることが大事。同じトマトでも環境を変えるだけでフルーツ味になってしまうんだと思いますw

 

 

『忘れる』

という人間の脳に備わった素晴らしい機能、どれだけコンピューターが発達しても備わらない機能、そして、

『アナログ情報を新規に摂取し続けることができる』

というコンピューターが苦手な機能をフル活用して生きることこそが人生コスパを最大限に上げる生き方なのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、こんな記事の最後にも忘れずに『バズってどうする!?』