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A1理論はミニマリスト

ポジティブにつぶやき中@A1riron

『住』従属人生の19世紀、『職』従属人生の20世紀、『居』従属人生の21世紀。

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先日、このような記事を書きました!

『居・職・住』さえあれば、人間は死なない!! - A1理論はミニマリスト

この記事の中で、僕は、

その3つの中でも、飛び抜けて大事なのが『居』というコミュニティだと思います。

と、書いたけど、、、

 

今日、ふと、

「それは現在が21世紀だからなんじゃないかな?」

と思いました。

 

そう考えると、ここ最近の人類は、

19世紀は『住』に、『居』と『職』が従属していて、

20世紀は『職』に、『居』と『住』が従属していて、

21世紀は『居』に、『職』と『住』が従属してきているんじゃないかな?

と思いました。

 

 

19世紀前半の日本は、まだまだ、関ヶ原以来の『幕藩体制』まっさかりで、日本自体が約300の「国」で構成されていた。

 

自分の生まれ落ちた「藩」から許可なしで出ることは、「脱藩」であり、現在の不法出国と同じ扱いだった。

坂本竜馬のように、自分の生まれた「藩」と「自分」自身との相性が悪い場合は、無理やり「脱藩」する他なかった。

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当然、自分の生まれ落ちた「イエ」そのものは、「藩」に厳しく管理されていた。

坂本家も、竜馬の姉が脱藩をほう助した疑いで、姉は自害している。(諸説あり)

 

そんな時代では、「イエ」というもの自体が中心の人生になっているのは当然だろう。

 

「イエ」という『住』居に、仕事である『職』も、コミュニティである『居』も従属する関係にあったんじゃないかな、と思う。

 

「イエ」という物理空間に、『職』も『居』も従属していたからこそ、

「日本人の『ウチ』と『ソト』」 

 の概念が強く形成されていったのかもしれない。

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この『住』環境に、『職』も『居』も従属する人間関係は、明治維新後もなお根強く、明治になり、東京の陸軍士官学校に入学したにも関わらず、秋山好古(スーパーミニマリスト!!)は、旧藩の殿様の留学に付き合わされ、フランスに私費留学させられることになる。

 

当時、普仏戦争でドイツにボロ負けしたフランスに対する日本陸軍の評価は低く、藩の命令で落ち目のフランスに私費留学するなどという行為は、

「出世レースから脱落する」

行為に他ならなかったのだが、秋山好古は西洋風の軍服に身を包んでも、まだまだ旧藩の「サムライ」だった。

 

これこそ、『住』に、『職』や『居』が従属している時代の象徴とも言える出来事なんじゃないかな?

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けど、日清・日露と日本が戦争に勝ち進むにつれ、「財閥」も誕生してくる。

財閥 - Wikipedia

 

以下、wikipediaより、

財閥(ざいばつ)」という語は1900年前後に使われ始めた造語で、当初は同郷の富豪を指したようだが、明治末期には同郷に限らず一般に富豪の一族を意味するようになった。
今日の学界においては、「財閥とは、家族または同族によって出資された親会社(持株会社)が中核となり、それが支配している諸企業(子会社)に多種の産業を経営させている企業集団であって、大規模な子会社はそれぞれの産業部門において寡占的地位を占める。または、中心的産業の複数部門における寡占企業を傘下に有する家族を頂点とした多角的事業形態」という規定が通説的である。 

 

これを読むと、初期の「財閥」は「イエ」(『住』)から始まった、『職』業集団、とも言えると思う。

 

この「財閥」の存在が『住』従属の19世紀から、『職』従属の20世紀へと変わる転換点だったのかもしれない。 

 

そもそも、

「20世紀になって出てきたジャパニーズ『カイシャ』が、戦争を引き起こした。」

と言う人もいる。

 

企業は「イエ」と違い、利潤を追求する生き物故、絶えず、拡大、拡大を続ける宿命にある。

そんな利潤を求める「カイシャ」が、新たに日本の領土となった台湾、朝鮮、満州に進出していくのは当然の理だ。

 

「東インド会社」が事実上の植民地開拓組織だったのと同じだ。

 

現在のアメリカ経済が軍需産業により成り立っていて、常に戦争をしていないとアメリカ経済が回らないのと全く同じだ。

(武器のバージョンアップが大体10~20年周期のため)

 

20世紀 どんな時代だったのか 戦争編―日本の戦争

20世紀 どんな時代だったのか 戦争編―日本の戦争

 

 

以下、wikiより、

昭和期の新興コンツェルン

上記の財閥と異なり、創業者には技術者出身が多い。

このため、重工業中心で「芋づる」方式と呼ばれる、企業間において関連性の強い生産関係を持つ。既存の財閥では貧弱な化学産業を中心に発展していった。

海外での市場を狙い、日産コンツェルンは満州で、日窒コンツェルンは朝鮮で鉱山などの事業を展開し、現地社会にも強い影響を残した。

 

この「昭和期の新興コンツェルン」なんて、完全に『職』に、『住』と『居』が従属している状態だと思う。

 

たけしの20世紀日本史 (新潮文庫)

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その後、戦争が終わり、GHQにより「財閥解体」がなされたが、、、

財閥解体 - Wikipedia

財閥は解体されたが、その後、それぞれの財閥の流れを汲む企業の大部分は再結集を果たし、大規模な企業グループを形成した。

また、1997年には独占禁止法の改正によって純粋持株会社の設立が解禁され、事実上の財閥復活許可が出された。

結局、解体されてないw

 

で、そんなこんなで、20世紀後半も、『職』に『住』と『居』が従属したまま、日本は世界史上稀に見る『高度経済成長』期に突入していく。 

 

むしろ、戦前よりパワーアップしていて、

「一億総サラリーマン時代」

を迎え、全国民が「カイシャ」という『職』に、人生すべてが従属させられるようになる。

 

元来、明治初期の薩長土肥の雄藩の藩士に代り、「国の役に立つ役人」を輩出するために創設された「大学」(東京帝国大学)も、その官吏試験の予備校的存在であった「慶応義塾」や「東京専門学校」(現・早稲田大学)も、戦後は、

『単なる就職予備校』

に成り下がっていき、それに入るために、

「一億総受験勉強社会」

になる。

 

これは『職』に、『住』も『居』も従属していた20世紀では確かに最適解だった。

自分が所属する企業により、付き合うコミュニティも決まるし、社員寮の立っているエリアも決まるのだから。

 

学歴の社会史―教育と日本の近代 (新潮選書)

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ちなみに、僕が生まれた兵庫県姫路市の浜手のエリアは、僕が生まれた頃には、完全に「新日鐵」(現・新日鐵住金)という会社の、

「企業城下町」

と化していた。

 

戦後のモータリゼーションが進み、

「天下の名城」

と謳われた国宝・姫路城から駅までの商店街は完全に寂れ、逆に、戦国時代に姫路城で生まれた黒田官兵衛が滅ぼしたはずの英賀城周辺の飾磨の浜手は「企業城下町」として、ジャスコが建ち、グリーンモールが建ち、その周辺の商店街は栄えていた。

 

ちなみにその英賀城が官兵衛に滅ぼされたあと、夢前川を渡り、新日鉄のある広畑周辺に移住した、英賀城のとある武士の子孫が『司馬遼太郎』であるが、これは余談。(司馬小説風w)

新装版 播磨灘物語(1) (講談社文庫)

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ちなみに、僕が小学生時代、この広畑に「鉄と緑の祭り」 というかなり大規模なお祭りがありました。

たしか、巨大なブリキのロボットも建っていたような。。。

 

幼かった僕は、地域の大規模なお祭りかと思っていたけど、最近になって、おかんから、

「あれは新日鉄の『社員祭』や。」

と、衝撃の事実を知らされました。

 

確かに、新日鐵周辺の広範囲で行われていたし、バブル崩壊後は行われなくなった。

僕の中にほんのわずかだけ残る「バブルの記憶」の最たるものが、あの「鉄と緑の祭り」ですねぇ。。。 

 

しかし、これこそ『職』に、『住』や『居』が従属する20世紀の象徴なんじゃないでしょうか?

 

だって、我が家は新日鐵とは何の関係もない、いち自営業家庭ですよ!w

それが、単に、新日鉄の「企業城下町」周辺に『住』んでいるってだけで、新日鉄の社員祭に行ってる、つまり、そのコミュニティ(『居』)に参加しちゃってるんですから!!ww

 

鉄人伝説 小説新日鐵住金

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けど、そんなバブル華やかなりし80年代でも、『職』従属な人生に満足できない日本人は当然のようにいた。

 

ダウンタウン松本人志は、高校を卒業してすぐに、就職せず、出来たばかりの吉本の学校(NSC)に入学した理由を、ラジオ番組「放送室」で、

「働きたくなかった」 

と言っているw

(働きたくないでござる!絶対に働きたくないでござる!!) 

 

 「放送室」では、

「今でこそ、『フリーター』とかいう言葉あるけど、当時はそんなんなくて、学校卒業したら働くんが当たり前やった。けど、俺は純粋に働きたくなかった。」

と言っている。

 

これは結局、『職』従属社会へのアンチテーゼで、「吉本」というか、「お笑い」という世界に『居』場所を求めていたんじゃないかな、と思う。

(日本が「食うに困らないくらい」には豊かになってきた時代、とも言える。)

 

後に、松本人志は、「放送室」で、

「俺は『お笑い』がなかったら、自殺してたか、犯罪者になっとったんとちゃうかな?」

と、けっこう真面目な声で語っている。

放送室 (ラジオ番組) - Wikipedia

もしかしたらこの「放送室」というラジオ番組自体が、松本人志が21世紀になって、やっとみつけた『居』場所なのかもしれない。 

 

 

 

この80年代から、アジアへの日本人バックパッカーも増えて行く。

松本人志の同級生で、「放送室」の相方である、高須光聖も、元バックパッカーだ。

高須光聖 - Wikipedia

 

この少し前の70年代、東南アジアやインドには「反ベトナム戦争」を掲げる欧米人のヒッピーが溢れていて、 

ヒッピー - Wikipedia

カトマンズ・ゴア・カブール(!)が「ヒッピーの三大聖地」と言われていた。

 

▼深夜特急の初版や、

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

 

 

▼蔵前仁一の本もこの頃(80年代)に多くが出版された。

ゴーゴー・インド

ゴーゴー・インド

 

 

僕もそうなんだけど、こういうバックパッカー文化も、松本人志と同じく、

『職』にすべてが従属する20世紀の人生に嫌気がさして、東南アジアに逃げ出した人種の文化なんじゃないかな?

 

この、

「日本の若者がアジアに『居』場所を求める」

流れは、00年代後半まで続いていく。

 

その舞台は70年代の「ヒッピーの三大聖地」とは異なり、

タイ・バンコクの「カオサン通り」、

ベトナム・ホーチミンシティの「ファングーラオ通り」、

香港の「重慶大厦(チョンキンマンション)」、

等、ゲストハウスのある場所に集住するようになってきたと思うし、00年代からは、ネットカフェや携帯端末、mixiメッセージ等でバックパッカーどうしが連絡を取り合い、一種の「ゲストハウス村」を形成していたんじゃないかな、と思う。

 

これこそ、21世紀の『居』(コミュニティ)に、『住』が従属する生き方の「はしり」だったのかもしれない。(けど『職』はない。。。)

 

日本を降りる若者たち (講談社現代新書)

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外こもりのススメ―海外のほほん生活

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90年代に入ってからはバブルも弾け、大学生も未曽有の就職氷河期に突入。

『職』にすべてが従属する21世紀の末期の末期だ。

 

が、それでも、秋山好古が、明治になっても「サムライ」であったように、90年代以降でも、多くの日本人は『職』に従属する時代を引きずり続ける。

 

僕と同じ大学の寮生だった同期の某氏は必死に就職活動を続け、ついに『変態新聞』社から内定を勝ち取って、めちゃくちゃ喜んでいた!!

(ちなみに、彼は「変態大学」の、「変態学生寮」を卒寮し、「変態新聞」に入社するという、まさに「変態エリート」!!)

 

そんな彼は現在でも、未だにたまに会うと、『職』に従属する人生に満足していて、

「東京本社に戻りたい」 

とか言いながら、京都→兵庫→広島、と、『職』に翻弄されまくってる。

(ていうか、東京から遠ざかっとるやないかい!!ww) 

 

僕は、そんな彼が内定をもらって喜んでいた学生の頃、『職』にすべてが従属する『就職活動』なる、わけのわからない制度にほとほと嫌気がさしていた。

 

当時の僕は、学生時代に集めた「面白い学生」のメーリングリストを運営していて、

「ぶっちゃけ、わけのわからない地方に飛ばされる『就職』なんかよりも、このメーリングリストのほうが大事だ。」

と思っていて、最終的にはアホらしくなって『就職活動』自体を途中で辞めてしまった。

 

これは松本人志が、

「働きたくない」

と言って、企業の内定を蹴って、「お笑い」に『居』場所を求めたことと同じだ。

 

僕にとって『企業』なんて居場所は不必要であり、そんなことより、自分が運営するメディアであるメーリングリスト(当時の『Yahoo! eグループ』現在サービス終了)のほうが百億倍大事だった。

 

『企業』なんてよくわからない『居』場所より、ウェブ上の仮想的なコミュニティのほうが、僕にとっては重要だったのだ。

もちろん、それは「変態エリート」の彼には到底、理解できない思想で、たぶん、田無寮を卒寮して15年経つ現在でも、まだ理解はされていないと思う。

 

同じ寮に住む寮生が、『職』に従属する人生と、『居』に従属する人生を選んだこの年は、ちょうど、人類が21世紀を迎えた年であり、それは9.11が起こる、少し前の出来事だった。

 

僕は、『居』場所を求めて大学4年の夏休みに、まず台湾に飛んだ。

自分の『居』場所が、アジアにあるんじゃないか、と思ったからだ。

 

で、台湾の南端の町に来たとき、雑貨屋の2階にあったすごく広い個室のゲストハウスに泊まった。僕の旅には珍しく、大画面のテレビまでついていた。

 

次の日の朝、近くの国立公園の山に登った。

ここの高台からは南の海がよく見渡せた。アジア大陸に続く海だ。

「やっぱりアジアをこの目で見たい!アジアを見ずに死ねない!」

この日、そう思った。

 

夕暮れに宿に帰り、大画面テレビの電源を入れると、画面いっぱいに、ニューヨークのワールドトレードセンターが崩壊する映像が飛び込んできた!

しばらく、静かにその映像を見ながら、

「やっぱりアジアをこの目で見たい!アジアを見ずに死ねない!」

と、強く思った。

 

学生時代後半に作った僕のメーリングリストは僕の考えを伝えるメールマガジン化し、大学を卒業後、僕はアジア大陸を横断しながら、各地のネットカフェからメールマガジンを配信し続けた。

 

僕にとっては、そのメールマガジンこそが『居』場所であり、ネットカフェの近くのゲストハウスこそが『住』居だった。

 

帰国後、そのメールマガジンという『居』場所は、mixiに移ることになる。

(大学時代の友達に、早々に招待状をいただいたため)

 

 

ま、そんな僕の話はどーーーでもいいとしてww

 

21世紀は『職』よりも『居』場所を優先する若者が増えてきたし、これからもどんどん増えて行くんじゃないかな、と思う。

 

頑張って「企業」に内定をもらったとしても、3年くらいで辞める若者ばかりだし、無理にしがみついて病んだら意味がない。

「残りの人生の健康時間」

より、この世で大事なものはないのだから。

 

派遣社員は派遣社員で、派遣元にも派遣先にも愛社精神なんて生まれるはずもない。

派遣元なんて、単なる「ピンハネ会社」に過ぎないし、派遣先が好きな企業だったとしても、所詮、他社だし、一緒に働いている人も別の派遣会社だ。

どっちらけ、って感じだ。

 

そんな21世紀、人類が求めているのは、やっぱり『居』場所なんじゃないかな、と、僕は思う。

『居』場所さえあれば、『住』や『職』は、それに従属してもいいと思えるくらいに。

 

 

2010年、東京・入谷に『toco.』という古民家改装ゲストハウスが誕生した。

今では併設バーで有名なこのゲストハウスも、当初はバーを併設する予定はなかったらしい。

 

「ここはお前らの遊び場じゃねえぞ」—2010年からの5年間を振り返る(2) | 株式会社Backpackers' Japan

▲公式ブログより、

バーを作るきっかけは、toco.を共に作った大工チームの初代棟梁トモさん一人にある。

 

「早く母屋を終わらせてバーの方にも手付けないとな。カウンターも、目ぇ付けてるのがあるから」

「トモさん、バーは作らないんです。カウンターも必要ないし」

 

このままじゃ押し切られてしまうと本間君が焦りながら抗議する。

 

「そもそも、お酒を作って売るなんて、誰もバーテンみたいなことやったことないんですよ?ゲストハウスがたまたまやってるバーなんて、プロ意識も無い商品を出す中途半端な場所は作りたくないです」

「だせえ」

「え?」

「その考え方がだせえ。お前そんなこと言ってないでとにかくやれ。やってみてから言えよそういうのは。だから駄目なんだよ、全っ然ダメ。やりたかったら本気でやって出来ないことねえだろ」

 

そんな常に威勢のいいトモさんだったが、、、

 

その前日の夕方、一日の工事を終えてから、トモさんは夜に行われる仲間との飲み会に出掛けて行った。飲み会の終盤で寝てしまって、そのまま起きなかった。急性心不全。後から聞くと小さい頃から心臓に持病があったのだという。大好きな仲間達に囲まれての最期だった。

 

バーは、もうなにがなんでも作るしかない。それどころか最高にかっこいいバーにしなきゃいけない。みんな口には出さなかったけどきっと同じことを思っていたと思う。

 

もしかしたら、このトモさんは、

「ここはお前らの遊び場じゃねえぞ!」

という言葉のウラに、

「ここは、20世紀という『職』にすべてが従属した時代から弾きだされた、俺の『居』場所だ!」

という思いがあったのかもしれない、と、今、思った。

 

 

そして、ついに「toco.」にバーが出来、それからは、連日、旅人や近所の人、旅好き、ゲストハウス好き、話好きの老若男女、国籍・職業バラバラな人達でにぎわっている。

 

その賑わいに『FootPrints』『ゲストハウスガイド100』の▼だりさんも引き寄せられてきたのだろう。

9/25(日)ゲストハウスガイド100出版記念イベントin千葉に参加します!佐々木典士さん他ミニマリストブロガーも続々集結!! - A1理論はミニマリスト

 

あれから五年経ち、「toco.」「Nui.」「Len」そのどの店舗の中心にもバースペースがある。

それどころか、その様子を見てゲストハウスを作りたいとか店を持ちたいと思ってくれる人までいる。

 

届いてるのか分からないけど、トモさんにはそんな風に続く風景を見ててもらいたい。

 

この「toco.」の併設バー以降、日本のゲストハウスにはバー併設が、なんとなくデファクトスタンダードになっていく。

 

 

このシリーズのゲストハウスと似ていて、そこからさらに『居』場所を広げた街としては、僕は広島・尾道を例にあげたい。

この町とゲストハウス『あなごのねどこ』を知ったのは▼このコミックエッセイからだ。

0円で空き家をもらって東京脱出!

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実際に▼2014年の年末に泊まりにいきました!

生きるのに疲れたら広島・尾道の『あなごのねどこ』に泊まりに行こう!【0円で空き家をもらって東京脱出!】 - A1理論はミニマリスト

 

その時、常連の富山県から来る尾道に移住希望のおじさんの「鍋の会」が偶然あり、参加したところ、30代くらいの移住者の男性と、少し話しました。

 

彼は北陸出身で、大阪や東京で働いていたんだけど、たぶん、なにかあって、会社を退社。その後、日本全国を自転車で巡る旅に出る。

で、「あなごのねどこ」にたどり着いたとき、この富山県のおじさんが偶然、宿泊していて、

「尾道いいよ!仕事はあるし、気候も温暖で!移住してきなよ!」

と勧められ、

「とりあえず、沖縄までチャリで行ってから考えます!」

と、行って、沖縄まで行った後、尾道に帰って来て、移住してきたという。

 

この時、仕事という『職』はまだなかったけど、彼の目は光り輝いていて、

「あ、この人ならたぶん、大丈夫だな。」

と、なんとなく僕は思った。

 

北陸・大阪・東京に住み、日本全国を自転車で回ったあと、彼が尾道を選んだ理由は、おそらく、

「コミュニティ(『居』場所)がある」

からなんじゃないかな、と思った。

 

尾道「あなごのねどこ」は上記コミックエッセイにも出てくる、

「空き家再生プロジェクト」(通称「空きP」)

が運営していて、「空きP」中心に、すでに移住者コミュニティが出来ている。

ゲストハウス単体より、かなり『所属感』が強い人たちが集っていると僕は感じた。

 

しかも、「あなごのねどこ」の近くに「ヤドカーリ」というすごいゲストハウスもある!!▼是非、これを読んでください!!

尾道の移住者から学んだ「給料をもらわずに楽しく働く方法」と「遊ぶように暮らす生き方」 | らふらく^^ ~ブログで飯を食う~

広島県尾道市で面白い話を聞いてきました。ゲストハウス「ヤドカーリ/YADO CURLY」のスタッフさんの働き方が斬新すぎましたよ。

 

彼らは働いているのにもかかわらず、給料をもらっていないんだそうです。つまり無給労働しているんです。

しかし、彼らはそれに不満を持たず、あえてそうした働き方を選んでいるんだとか。

 

こうした働き方が、しんどい仕事から抜け出すヒントになると思ったので、紹介します。今後は無給、遊ぶことが重要になっていくのかもしれません。

 

彼らは「無給」で働いているんですよ!

ご飯とベッドがあれば、おカネなんていらない!みたいな!!

 

これは『職』にすべてが従属していた20世紀の資本主義社会自体を根本的に疑う生き方だと思いました。

『居』場所自体に、『住』と『職』が従属している、21世紀的な生き方なんじゃないかと。

 

いや、20世紀にも、そんな生き方をしていた集団はあったんだろうけど、なんか、閉じたコミュニティだったと思う。ヤマ●シズムとか。。。

それと比較すると「ヤドカーリ」は、バーも併設されてあり、かなりオープンだ。

 

 

で、それと近い体験を、先日、僕もしました。

 

上記『toco.』の二店舗目『Nui.』のデザインを行った東野さんは、誰よりも古材・廃材を愛する人で、『Nui.』のヒット後、全国に「レトロカワイイ」バー併設ゲストハウスを作り続けていく。

萩の「ruco」、下諏訪「マスヤゲストハウス」、松本「tabi-shiro」等。

 

 

そんな時、仮想的な『居』場所を、mixiから「はてなブログ」に移した僕が、「マスヤゲストハウス」に出会ってしまう。

 

2015年夏、僕は「はてなブログ」に居場所を移し、ミニマリストという新しいコミュニティを見つけたはいいものの、ミニマリスト炎上事件にほとほと疲れてしまい、気分転換に行った諏訪地方に魅了され、そこからは下諏訪のことばかりブログに書くことになる。

 

そんな8月下旬、「まちの教室」というイベントで東野さんの話を聞き、

「この人、『なにか』をするんじゃないだろうか??」

と、ほぼ直感的に感じ、その後も静かにウォッチしていた。

 

 

そしたら案の定、年明けに、

アメリカ・ポートランドにある『リビルディングセンター』の日本支部を諏訪に作る!!

と言い始めた!!

 

そして、あれからちょうど1年後の2016年8月の「まちの教室」で、

「リビセンではポートランドの本社同様『コミュニティ』を作っていきたい。」 

「本社同様、ボランティアスタッフがいつも入り浸る会社にしたい」

と言っていた。

 

これは面白い!!

 

これは20世紀の「カイシャ」では考えられなかったことなんじゃないかな?

利潤も大事だけど、それ以上に『コミュニティ』を形成することに重きを置いているなんて!!

 

完全に『居』に、『住』と『職』が従属している、と、僕は思う。

 

そこからは有言実行で、まずはリビセンそのものを作るスタッフも『リビセンお助け隊』と称して、facebookで募集をしていた!

 

「これは、のっからねば!!」

と、僕も先日、5日間、体験してきました!!

結論から言うと、超面白かったです!!

2016年9月上旬の上諏訪『リビルディングセンター・ジャパンお助け隊』記事ダイジェスト版!! - A1理論はミニマリスト

 

僕もそうですが、他の『お助け隊』の方々も、めっちゃ働くんですよ!!

すごいスピードで古材が綺麗になっていったり!!無給なのに!!

 

最近は、『お助け隊』が働き過ぎて、やることなくなってるくらいですww

働きたいでござる!!絶対に働きたいでござる!!

 

昨日、『お助け隊』に行っていたブログ仲間のMarikoさんのつぶやきも▼こんな感じw

 

▼さっきアップされた記事。

リビルディングセンタージャパンのお助け隊に参加して① - どこにいても、できること。

 

なんで、こんなに楽しくて、みんな帰りたがらないんだろう、と思ったら、やっぱり、

リビセンという『居』場所に、人生のすべてが従属していく予感がする

からなんだろうと思う。

 

リビセンとその周辺は、これから尾道以上に変なおもしろい移住者が増えて行くような気がします。

だって、そこに強烈な『居』場所があるんだもん。

 

移住しなくても、僕のような、都会と諏訪を行き来する、リアル▼『君の名は。』な二拠点生活者も増えるかも。首都圏、特に新宿から近いし。

新海誠監督作品 君の名は。 公式ビジュアルガイド

新海誠監督作品 君の名は。 公式ビジュアルガイド

 

 

 

セス・ゴーデンは、▼インターネットが普及し、「部族」が増えて行った、と唱えた。

セス・ゴーディン:我々がリードする部族 | TED Talk | TED.com

 

今後、21世紀は、そんな各「部族」が集住し、コミュニティという『居』場所を形成し、そこに『住』や『職』が従属する社会になるのかもしれない。 

 

それの先進特区が諏訪地域なら、今後、諏訪湖の周りに多くの「部族」が集住するコミュニティが出来て行くかもしれない。

 

 

それこそが、僕の言葉で言う▼『チャンスの国』であり、

諏訪地域がこれからどんどん『チャンスの国』になっていく気がビンビンします!! - A1理論はミニマリスト

ペンギンの国のクジャク

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ちきりんパイセンのいう▼『ゴールドカラーの時代』だ。

ちきりんの“社会派”で行こう!:新たな職種層、“ゴールドカラー”の登場 (1/3) - ITmedia ビジネスオンライン

 

交通革命、ゲストハウスの普及、空き家の増加、SNSの発達等が、そのスピードを今後、加速させていくような気がします。

 

 

と、まぁ、非常に長くなりましたが、僕が言いたいことをミニマムにまとめると、

「21世紀はとんでもなく明るいし、とんでもなく面白いよ!!」

ってことで!!