A1理論はミニマリスト

ポジティブにつぶやき中@A1riron

人間には人間らしい仕事をさせよ。そのために機械がある。(土光敏夫)

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IHIや東芝の社長を歴任し、経団連会長にも就任した、「ミスター合理化」こと土光敏夫さんの言葉です!

土光敏夫 - Wikipedia

しかし、きらびやかな肩書とは裏腹に、wikipediaを読む限り、私生活はものすごく質素なミニマリストですね!

・戦後1回も床屋へ行ったことがなく、自宅で息子にやってもらう。

・穴とつぎはぎだらけの帽子。

・戦前から50年以上使用しているブラシ。

・妻に「汚いから捨てたらどう?」と言われた使い古しの歯磨き用コップ。

・農作業用のズボンのベルト代わりに使えなくなったネクタイ。

とりわけインパクトが大きかったのは、妻と2人きりで摂る夕食の風景であった。メニューはメザシに菜っ葉・味噌汁と軟らかく炊いた玄米。

これが「メザシの土光さん」のイメージを定着させた。

 

そして、生活費以外の残りの多額の収入は全て、母親が独力で作った学校・橘学苑に寄付。

まさに▼貝原益軒の言う『倹約』家ですな。

身に奉ずること薄きを『倹約』とし、人に奉ずること薄きを『吝嗇(りんしょく)』とす。(貝原益軒) - A1理論はミニマリスト

気骨: 経営者 土光敏夫の闘い

気骨: 経営者 土光敏夫の闘い

 

 

いやー、こういう生活スタイルの老人になりたいものですね!

まぁ、僕の場合、もうなってるのですがw

 

あと、これを書いているときにめっちゃメザシが食べたくなったので、一応、置いておきますw

 

 

 

しかし、この言葉、いいですねー。

「人間」には「人間らしい仕事」をさせよ、というのは確かに『合理的』な発想だと僕は思います。

 

 

じゃあ、『人間らしい仕事』、『人間らしくない仕事』の定義ってなんでしょうか?

 

僕的に独断と偏見でこれを定義すれば、

『人間らしい仕事』とは、

・インプットがアナログで、アウトプットがデジタルな仕事

・インプットがデジタルで、アウトプットがアナログな仕事

・インプットがアナログで、アウトプットもアナログな仕事

 

『人間らしくない仕事』(機械でもできる仕事)とは、

・インプットがデジタルで、アウトプットもデジタルな仕事

 

 

僕は、人間という動物は『脳』という身体部分の一点にのみ、傾斜的にエネルギーをかけ続けて進化してきた「いびつな動物」だと考えています。

 

『脳』にだけ「一点豪華主義」な進化のために、他の生物に比べて身体的バランスがめちゃくちゃおかしいと思います。

『制約と誓約』をかけまくってる種だと思ってます。

セル編のパワー偏重型トランクスくらい、身体的に偏重した種。

 

 

なので、人類はその身体的制約を補うために『道具』を作っていったんだと思います。

ドラクエの『魔法使い』が力は弱いけど呪文は強い、的な。

 

 

土光さんの生きた20世紀は、その『道具』があくまで身体の延長線上にあったと思うんですよ。

なので、機械は文字通り『機械的な動き』しかできなかった。

判断するのは『人間』、手足となりタスクを処理するのが『機械』。

 

 

でも、21世紀になり、機械のほうが人間より合理的な判断ができるようになってきた。

人間の特徴である『脳』の延長線上にまで道具が達してしまった。

 

 

そうなると、『人間的らしい仕事』ってどんどん減ってくると思います。

すでに構築されたアルゴリズム通りの結果を弾きだすマシンに比べたら、人間の脳みそなんて『忘れる』という機能がある時点で低スペックパソコンよりも劣るw

『他人と知識を共有出来ない』時点で型落ちスマホよりも劣るw

 

 

これはもう歴史の必然で、人間が『道具』を発明した時点から、いや、最初の人間が身体的に『制約と誓約』をかけて進化しようと決意した瞬間から決まっていたルート上に、今、我々がいるだけ。

コーラを飲んだらゲップが出るくらい確実だったんじゃ!!

 

 

なので、21世紀初頭の現在、人類に残ってる『人間らしい仕事』は、

 

・インプットがアナログで、アウトプットがデジタルな仕事

SEとか、新聞記者とか、自然界にあるものをシステムに乗せる人。

・インプットがデジタルで、アウトプットがアナログな仕事

営業とか、販売とか、仕組みから生産されたものを人に届ける人。

・インプットがアナログで、アウトプットもアナログな仕事

農林水産業等の一次産業や、流通システムに頼らないアーティスト等。

 

みたいな感じ?

 

 

けど、それらの仕事も今後はさらに指数関数的に減っていくと思う。

なぜならコンピュータの情報処理速度が指数関数的に高まっていっているから。

 

もう「人間がコンピュータに使われる」と予測した手塚先生の描いた未来そのまんまですねw

サイトのサーバーが落ちないように人間が昼夜問わず働き、

スマホの通信エリアを広げるために人間がアンテナを立てる、

みたいなw

 

で、さらにそれができる人の数は今後もどんどん減っていくと思います。

 

 

日本人はそう聞くとかなり悲観的に考えると思うんですよ。

非正規労働者が4割に達してしまったとか。

『一億総活躍』しないといけないとか。

 

 

でも日本より断然、失業率の高いスペインやイタリアの人間がなんかヘラヘラしてて明るいのは、もう「そういう時代」を受け入れてしまってて、自分の好きなように人生の目標を設定しているからだと思うんですよね。

 

「めっちゃ遊ぶ」とか、

「めっちゃ食べる」とか、

「めっちゃナンパする」とか、

「めっちゃ貧乏旅行する」とか、

「チベット仏教徒になる」とか、

「めっちゃミニマリスト」とかww

 

 

勤勉な日本人の感覚だとそんなの「遊んでるだけ」なんだろうけど、、、

「遊び」を楽しむことこそ、機械やコンピュータには絶対にできないことなんじゃないかな。

ドーパミンにしろ、セロトニンにしろ、CPU内では分泌できないと思うw

 

 

むしろ、スペイン人やイタリア人が、日本企業内の新卒『社内ニート』や、仕事をしない50代のおっさん連中を見たら、

「おまえら、こんな時代に遊ばないで、仕事もしないで、一体、なにやってるんだ!?」 

って、思うんじゃないかなw

 

 

なので、これからの人類のトレンドは、

 

・『遊び』にお金が必要ないなら働かない。

・『遊び』にお金が必要なら『遊びたいカネ欲しさ』に働く。

 

もしくは、

・『遊んでいたら』いつの間にかお金が入ってきたから、まだ『遊べてない』人のために寄付する。もしくはクラウドファンディングで面白そうな『遊び』をしようとしている人に渡す。

 

 みたいになっていくんじゃないかな?

 

 

 

土光さんの言葉は、土光さんが生きた20世紀においては確実に正しいと思います。

 

 

けど、「機械」が人間の脳内のシナプスのように電気信号で情報を伝達し始めた21世紀においては、人間は、

・「機械」に使われて「働く」人

・「機械」を使って「遊ぶ」人

・「機械」を使わずに「働く」人

・「機械」を使わずに「遊ぶ」人

の4パターンに分かれていくのが、歴史の必然じゃないかな?

 

そして、そんな時代は、

その4パターンの、どの人間として生きるのか?

を人生の早期に決めないと人生を見誤るんじゃないかな?

 

 

なんせ、人間の寿命は80年くらいしかないし、突然、強制終了も起こり得るのだから。

 

「ミスター合理化」の常識は、あくまで20世紀の「合理化」なんじゃないかな、ということで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、こんな職業「遊び人」のこんなふざけた記事が『バズってどうする!?』