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A1理論はミニマリスト

ポジティブにつぶやき中@A1riron

いつ来ても『おかえり。』『またね。』と言ってくれる場所は「コミュニティの『生産性』」が高い場所なんじゃないかな?

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今日の朝▼こんな記事を読みました!

 

この記事で紹介されている▼ゲストハウス『IGLOO』の、

Story | 札幌ゲストハウス IGLOO (イグルー)|女性におすすめ

 

▼この説明文!!!

穏やかであったかい雰囲気に、旅の疲れが癒されます。

いつ帰っても「おかえりなさい」と迎えてくれるので、「ただいま」と思わず言いたくなる、お家のように居心地の良い穏やかな空間。

ほっとくつろげる安心感があるゲストハウスです。

 

それを読んで僕は▼こう考えた。 

 

僕は『生産性』を上げることができるのは▼ひとつの『才能』だと思っていて、 

『生産性』の議論は「生産性が低い」んじゃないかな?『生産性』って『才能』のひとつな気がする。 - A1理論はミニマリスト

 

 21世紀の『生産性』能力者が『生産性』を発揮するのは、「プロダクトの生産性」ではなく、「コミュニティの生産性」なんじゃないか?

とさえ▼思っている! 

『生産性』というレアな能力者はその能力を社会に還元するべき!でもそのスキームは20世紀と21世紀では異なると僕は思う! - A1理論はミニマリスト

 

都会で一人暮らしで働いている人間には、

『おかえり。』

と、

『またね。』

欠乏し過ぎていると思う。

 

『ただいま。』

という単語をしゃべった記憶がこの数年、とんとないw

 

まぁ、そういうのに飢えまくった人間が結婚とかするんだろうけど、ビンボー人にはハードル高過ぎるし、そもそもめんどくさいw

実家に至っては帰りたくもないし。(そもそも、家族を断捨離したいw)

 

そういう人間に必要なのが▼『フルサト』なんだろうな。

フルサトをつくる 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

フルサトをつくる 帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方

 

 

松鳥むうさんの▼この本に、、、

松鳥むうさんの『島旅ひとりっぷ』はゲストハウスやユースホステルを楽しんでるコミックエッセイ!読むだけで人生が楽しくなるよ! - A1理論はミニマリスト

島旅ひとりっぷ

島旅ひとりっぷ

 

 

北海道・礼文島のユースホステル▼『桃岩荘』に入っていきなりびっくりする描写があるけど、、、

 

この『桃岩荘』は、旅人の間では、

「ハマる人とハマらない人が真っ二つに分かれる」

というけれども、、、

 

ハマる人は、この、

「おかえりなさーーい!!」攻撃

にハマるんだろうなぁ。

 

 

僕は日本人が人生において従属していたものは、▼19世紀、20世紀、21世紀、それぞれ違うと思っていて、、、

『住』従属人生の19世紀、『職』従属人生の20世紀、『居』従属人生の21世紀。 - A1理論はミニマリスト

 

19世紀はそもそも、『フルサト』を作る必要性自体がなかったんじゃないかと思う。

なぜなら『住』居という『イエ』のコミュニティに人生がすべて従属していたから。

「明治」という国家

「明治」という国家

 

たぶん、その延長線上に▲『国家』もあったんだろうな。 

 

 

で、20世紀は『職』業、つまり『カイシャ』というコミュニティに人生がほぼすべて従属していたんじゃないかな?

なので、この時代も『フルサト』を作る必要性なんてなかった。

 

今と違って、『カイシャ』に入るのなんてめちゃくちゃ簡単で、その『カイシャ』も高度経済成長のおかげで、

「今日より明日のほうが豊かになる」 

ことが確実だったから、わざわざ『フルサト』を作る必要なんてないわな。

 

僕の下諏訪友達の温泉五郎さんが以前、

「90年代までは日本では『移住』という言葉は使われなかった。『移住』とは『転勤』のことだった。」 

みたいなことをつぶやいていたけど、それが20世紀の日本人を端的に表していると思う。

 

20世紀の人間にとっては、ある意味▼『国家』よりも『カイシャ』のほうが大事だったんじゃないかな?

 

20世紀では、『カイシャ』こそが『おかえり。』と『またね。』を言ってくれるコミュニティそのものだったんだと思う。

(そこからはみ出してしまった人々の受け皿が、20世紀までは『宗教』だったのかもしれない。)

 

 

けど、90年代にバブルが弾けてからは『カイシャ』の経営も苦しくなり、

『おかえり。』とも言ってられなくなってきた。

 

ほとんどの日本の『カイシャ』は90年代くらいから『ブラック企業』化してくる。

しかも、現在の40代以上のバブル入社組が、今の20代30代の平成不況組の足元を見て、ボロ雑巾のように絞りつくす構造になっている。

それは未だにバブルの甘い汁を吸い続けているからだw

 

僕みたいな人間は、そんな社会構造を、

「アホらしい!」

って思ってしまう人間で、

「この国のこの時代に生きている限り、餓死する確率は極めて低い!!」 

と、バックパッカーしたりしながらテキトーに生きてますw 

 

それはそれで、特に後悔とかはないんだけれども、

『おかえり。』

『またね。』 

と言ってくれる場所がない。

 

 

たぶん、過労自殺とかしちゃう人って、『カイシャ』以外に、この、

『おかえり。』

『またね。』

と言ってくれる場所さえあれば、死ぬことを踏みとどまったのかもしれない。

 

 

暗い話だが、僕の学生寮時代の先輩・同輩・後輩は、僕が知っている限りで、少なくとも3人は20代のうちに死んだ。

あんな少人数制の寮なのに。

 

でも、そいつらも、学生寮時代は死ななかったのだ。

それは学生寮が、

『おかえり。』

『またね。』

と言ってくれるコミュニティの役割を果たしていたからなんじゃないかな?

これは僕も、アメリカの長旅を終えて寮に帰ってきた時、ものすごく実感した。

 

卒寮式で、

「僕の大学生活は『寮』が9割でした!!」

と言った先輩もいた。 

 

しかし、そのコミュニティは4年で必ず追い出される。

彼らは『寮』という名の『コミュニティ』から、無理やり追い出されたことで、絶望して死んでしまったんじゃないかと思う。

後輩なんて、卒寮した春に死んだ。

 

もしかしたら、彼らがそもそも、寮に求めていたものが、僕やエスタークのような、

『安価な宿泊施設』 

ではなく、

『コミュニティ』 

だったのかもしれない。

 

「ここに来れば、『酸素』を吸わせてくれる。」

そう思って、そもそも「入寮届」を大学に提出したのかもしれない。

日本の自殺者が年間3万人を超えた、20世紀の終わりごろの話だ。

 

彼らは、

「寮がなくても頑張れる!」

人種ではなく、

「寮があったから頑張れた!」

人種だったのかもしれない。

 

たぶん、家族とも上手くいってなかっただろうし、都会でも、仕事が変われば、また一人ぼっちだ。 

でも、死ぬこたぁない。

せっかく生まれて来たんだから。

 

要は、

『おかえり。』

と、

『またね。』

さえ言ってくれる『場所』さえあれば、

「都会で悩んでいたことなんて、ちっぽけなことなんだ!」

と実感できたのに違いなかった。

 

その『場所』に縁も所縁もなくても一向に構わない。 

で、僕にとっては、その場所は下諏訪だった、というだけの話だw

 

 

20世紀と違い、雇用が激しく流動化する21世紀は、

「一億、総『るろうに』」

になってて、みんな、

「働きたくないでござる!!絶対に働きたくないでござる!!」

と叫びながらも、職場を転々と流浪する。

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そんな『るろうに』達に、

「ただいまでござる。」

と言わしめる場所がこの国には欠乏し過ぎているんじゃないかな。

「ただいまでござる」の画像検索結果

 

そういう場所がないから、『カイシャ』なんて、所詮、先細りなのに、日本人の若者は、そこにしがみつこう、しがみつこうとする。(で、病むw)

 

 

なので、21世紀は、

『おかえり。』 

『またね。』

を言ってくれる、縁も所縁もない場所に、人間は集まるだろうし、彼らはそこに▼『関わりしろ』を見出そうとするんじゃないかな?

(111)ぼくらは地方で幸せを見つける (ソトコト流ローカル再生論)

(111)ぼくらは地方で幸せを見つける (ソトコト流ローカル再生論)

 

 

それこそが

「プロダクトの『生産性』」がカンストした、この21世紀

に、一番求められる、

「コミュニティの『生産性』」が高い場所

なんじゃないかな?