A1理論はミニマリスト

ゲストハウスと下諏訪が好き。

就職氷河期世代の僕がお盆休みに7年ぶりに団塊世代の親と家族旅行してみて思った5つのこと。

今年のお盆休みは僕には珍しく、下諏訪ではなく故郷に帰省しました。

 

理由は、かなーり久しぶりな家族旅行があったからです。

思い返すと7年ぶりで、しかもその時は車で1時間弱の近場の宿だったので、よく考えたらちゃんとした旅行は21世紀になって初めてかも。

 

ま、今回の旅行も近場といえば近場でしたが、一応、県境は超えました。

今回はその旅の途中や旅の直後に考えたことをつらつらと書いてみようと思います。

うちの家族、人多過ぎ!子供、うるさ過ぎ!親、ダメダメ過ぎ!そしてお盆、暑過ぎ!!

まぁ、予想通りと言えば予想通りなのですが、、、

僕の実家はここ数年で家族が増えに増えたので(僕単体はずっと独身なうですがw)、車三台での旅行で、これはもはや大家族ですねぇ。 

 

しかも、チビどもがうるさいうるさい!w

お腹が空いたとか、眠いとか、ゲーム(Nintendo Switch)したいとか、、、

 

で、そんなチビどもは観光名所はほぼチラ見で、ほとんど海や浜辺で遊んでいましたw

 

まぁ、これは大人もそうでしたがw

ていうか、お盆の時期の車の旅行って、そもそも暑過ぎて観光どころではないんですよねぇ。 

 

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▲オリーブの実を集めて僕に見せる甥っ子。かわいいw

 

まぁ、しかし、「かわいいは正義!」ですねぇ。

姪っ子や甥っ子たちとずっといるとしんどいですが、一年に数えるほど会うんだったら、やっぱりかわいいですねぇ。

 

で、問題は、やっぱり両親。。。

元々、ダメダメ過ぎる人間の上に、どんどん歳をとるので、、、

旅程もダメダメ、現地のルート策定もダメダメ、運転もダメダメ、、、みたいなw

 

結局、旅の後半は免許も持ってない僕がルート策定したり、助手席でスマホでナビしたり、、、

本当、仕事と仕事の合間の貴重な休みでしたが、仕事以上に疲れましたわ。。。

 

まぁ、長男で、1人だけ妻子のいない僕が、両親の車に乗るのは必然で、、、

結果的に家族全体の面倒を見ないといけないことになったので、、、

長男は辛いよ。。。

 

僕みたいな自由人が、大家族&頼りない両親といると、常にこんな風に自由を束縛され続けるので、僕は10代の頃から、家族と離れたくて離れたくて仕方がなかった。 

 

昭和の延長の予定詰め込み過ぎな旅。スローな旅にしてくれ。

次は旅のスタイルについて。

まぁ、今回の旅先は意外と観光名所が多かったのもありますが、、、

 

なんというか、駆け足、駆け足、駆け足、の昭和スタイルな感じの旅なんですよねぇ。

見どころのラリー的な。

 

僕は20代は海外のゲストハウス中心の一人旅、30代後半は国内のゲストハウス中心の一人旅か少人数旅が多いし、しかも、なんにもせずにゲストハウスでぼーっとしたり、ローカルなカフェでゲストハウスで会った人とおしゃべりしたり、温泉に2時間くらいいたりするゆるゆる旅なので、、、

 

仕事より疲れる旅でしたねぇ。

 

むしろ、僕にとっての『旅』の定義が、そもそも、

「休むための旅」

に近いので、、、

 

▼「スローな旅にしてくれ」って感じですよ、もうw 

スローな旅にしてくれ (幻冬舎文庫)

スローな旅にしてくれ (幻冬舎文庫)

 

 

それもこれも、おそらく昭和の頃の団体旅行のノリの延長なんでしょうねぇ。

観光地を見たら、車に乗って、はい!次はここ!その次はここ!写真撮って!お土産も買って!みたいなw

 

そのノリに慣れてしまったら、それに強制的に付き合わされている僕も、次に移動する場所をGoogleマップでルーティングするゲームみたいになってしまって。。。

 

いや、まぁ、それはそれでまぁまぁ楽しかったけど、、、

仕事と仕事の合間の貴重な休みに、暑い中、直射日光のあたる助手席でそれをずっとやるのも、、、ねぇ。。。

 

帰りのフェリーでは寝転がるスペースがあったので爆睡してしまいましたわw

 

▼この写真は1日目のご飯のまえの、前の束の間の休憩時間に宿から撮った写真。

こういう美しい風景を、ずーーーーっと眺めてたいんだよ、俺は!wf:id:A1riron:20190815194042j:image

ちなみに、このご飯のあとは、姪っ子どもが僕らの部屋に詰めかけてきて、ワイワイとかるた大会になりましたw 

疲れ果てた親父は完全に布団にくるまって爆睡していましたw

旅行中、家族以外とはほとんど話しなかったけど、家族だからこそわかることがある。

先ほども書きましたが、僕の20代30代はずっとゲストハウス中心の一人旅でした。

いや、もっというと、10代の時から一人で無人島にキャンプに行ったりしていましたからw

 

なんていうか、僕は何十年も、

「いつも顔合わせてる人と旅して、なにが面白れーんだよ!!」

という考えの持ち主でした。

 

そもそも、日本的なベタベタした納豆のような人間関係が苦手なんですよねぇ。

サラッとした外国人のようなサラダボウルのような人間関係が好きで。

 

ましてや、DQNなうちの家族と旅行に行くなんて、、、

 

だから、10代の頃からすでに、家族旅行は極力、避けてきた。

平成の間は本当に、数えるくらいしか家族旅行しなかったな。

 

まぁ、この記事を書きながら考えたんだけど、やっぱり旅以前に、普段から親といっしょにいたくなかったんだろうなぁ。

 

僕は新しい世界で、新しい人間関係を求め続けていた。

10代も、20代も、30代も。

 

そして、40過ぎた今も、そのマインドは基本的に同じで、東京で毎年のように新しい人間関係を作っている。

 

旅という短期間においても、やっぱり、いろんな人と話がしたくて、ゲストハウスの共有スペースや併設のバーで、初めて会った人と語り合ったりもする。

 

で、そんな僕が、今回の旅は家族以外とはほとんど話しなかった。

車の旅で、小さい子供からジジババまで面倒を見ないといけなかったこと、そして予定がキツキツだったこともあるけれども、僕の旅では異例中の異例だ。

 

しかし、

「家族だからこそわかること」 

も、たくさんあった旅だ。

 

特に、長く同じ人生の時間を過ごしてきた両親の発言に、そのバックグラウンドや家族構成を知っているだけに考えさせられるものがいくつかあったりした。

 

逆に言うと、親というより、長い物語の登場人物というか、歴史上の人物のような、観察対象になってしまっているとも言える。

 

昔はそれがいやでいやで、親となんて頼まれても旅しなかったんだけれども、こういうのも楽しめる年ごろになってきたというところか。


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(▲海の生き物を釣るおみくじ。おみくじよりも海の生き物のおまけのほうが欲しい甥っ子w)

こういう旅、人生であと何回できるのだろうか?

親の言動を楽しめるようになってきたのは、▼こういうことを考え始めて来たからなのかもしれない。

 

そもそも、旅以前に、この歳になると、

「あと何回、親と会うことができるのか?」

と考え始める。

 

意外と何度も会うのかもしれないし、もう今回が最後かもしれない。

 

その中で、両親とも元気で、かつ、旅行にいけるなんて、もうないのかもしれない。

ボケたら旅行どころじゃないだろうし、うちのじいちゃんがボケ始めた年に、そろそろうちの親父も入りはじめる。

 

医学が発達し、平均寿命が延びたとはいえ、人間の残り寿命は確実に減っていく。

 

まぁ、旅をしている途中はやっぱりいろいろめんどくさいんだけれども、旅を終えると、考えてしまうねぇ。

 

うちの親はずっと借金しまくりで、さらに自営業で年金も払ってない、いわゆる「無年金親」で、本人にも、このブログ上でも僕はdisってばかりなんだろうけど、まぁ、それは悪気はなく、単に本人が不器用過ぎただけなんだろうなぁ。

 

とんび (角川文庫)

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そう言えば、今回の旅の途中で、▼お猿の国に行った。f:id:A1riron:20190815194049j:image

小さい子猿に食べさせるために、必死で人間の子供が撒く餌をとってくる親猿がいっぱいいた。

 

未曽有の平成不況の中で子供4人を育てたうちの親も、この親猿たちと同じ状態だったのかもしれない。

 

実家がようやく落ち着いてきた。だから残りの人生は『自分の人生』を生きたい。

と、まぁ、こんな感情を抱くのもまぁ、理由がありまして、、、 

 

我が家は、

90年代はバブル崩壊直撃で、子供の学費、学費、学費、で悩み、、、

00年代はいよいよ会社が倒産寸前で、東京で派遣社員していた僕からの仕送り頼みで、、、

10年代は景気は回復してきたものの、立て続けに家族が病気になり続けた。

 

しかし、やっと2010年代の最後の半年で、家族全員、元気で、しかもかなり景気が良くなってきて、うちのような零細企業でも生意気に大企業と同じく「人手不足」とか言い始めている。

令和ってすごいなーって思う。

 

これは平成時代ではとてもじゃないけど考えられなかったことで、僕は今回帰るときまで半信半疑だったんだけれども、、、

 

旅行後、実家にいくつも並んだ机やその上のパソコンを見て、かなり心強く感じた。

これって、俺の人生始まって以来なんじゃないかな?

今まで、ずーーーっと、実家の心配をし続ける人生だったから。

 

まぁ、もう僕はいつ死んでもいい状態とも言えるけど、そう考えると、▼こう思えるようになってきた。

 

平成不況の中、1億円以上の借金の中で、僕はもう、一生、ビンボー人生活かと思っていたけど、どうにかこうにか、頑張って生きてたら、40代で『自由』が手に入ってきた。

 

実家にいるのは確かにそこそこ居心地いいけど、やっぱり僕はバックパッカーというか、外に外に、向かって生きて行く人間なんだろうなぁ。

 

弟や妹たちは、生まれ育った故郷でそのまま結婚・出産し、骨を埋めて行く人種で、それはそれで、そういう人種なだけで、そこには良いも悪いもない。

僕とは『生き方のプロトコル』が違うだけなのだ。

 

僕の両親も、生まれ育った故郷に骨を埋める人間だったわけで、むしろ、僕が異例過ぎるんだ。 

 

そう言えば、この旅の行きの船に乗っている途中、僕が中学生の頃にキャンプしていた無人島の横をフェリーで通り過ぎた。

 

その島を始めて見た両親といっしょに、僕は懐かしい無人島を見ていて、母親は、

「あんたは昔からいっつも、勝手に一人でどっかに行ってまう子や。親に相談もなしで。」

と言った。

 

結局、僕は10代の頃からずっと『播磨灘物語』なんだろうな。40歳過ぎた今も。 

新装版 播磨灘物語(1) (講談社文庫)

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黒田官兵衛。戦国時代末期の異才。

牢人の子に生まれながらも、二十二歳にして播州・小寺藩の一番家老になる。

だが、「この程度の小天地であくせくして自分は生涯をおわるのか」という倦怠があった。

欲のうすい官兵衛だが、「広い世界へ出て、才略ひとつで天下いじりがしてみたい」という気持ちは強かった。

 

しかも、家を出たと言っても、平成時代は実家から遠く離れていても、実家の借金や病人を気にしながら生きていた。

 

「これから先は『自分の人生』を生きれる!」

 

そんな喜びを生まれて初めて持った就職氷河期世代の息子と、人生の残り時間が迫っている団塊世代の両親との、もしかしたら最後になるかもしれない家族旅行でした。

 

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